2018年7月2日月曜日

友達についての思索・14

 今日はやけに友達がいないことが骨身に沁みる日だった。いつもの「ファッション友達が欲しい」とは違って、今日は切実なやつ。人生全体を考えて、暗澹たる気持ちになって、孤独に打ちひしがれてしまうやつ。たまにそういうときがある。ファルマンにそれを話したら、ファルマンでさえ「ああ、たまにあるよね、そういうとき」と言っていた。あのファルマンでもあるのだから、すべての人類にあるということだ。こういう気分のとき、人はぬくもりを求めて自棄な行動を起したりするのだろう。ならば僕は、そういう状況に在る人々の、宿り木になりたい。あなたが自分はひとりぼっちだと哀しみに浸っているとき、実は心に寄り添っている存在がある。それが僕だよ。僕か、あるいは親鸞だよ。
 そんな今日の夕飯のあと、ポルガがなぞなぞの本から問題を出してきて、その1問目が「殻に閉じこもってばかりで外に出てこないという暗い生き物は?」というものだった。「それは……俺のことだ」と僕は答えたのだけど、7歳の娘は僕の心情なんかまるで慮ってくれずに、「ブー! 正解はでんでん(出ん出ん)虫でした!」と明るく言ってきた。子どものこの残酷さ。さらに2問目が、「道具を使わずに、どんなに嫌なものでも一瞬で消してしまう方法は?」というもので、そ、そんないい方法がなにか存在するのか!? と色めき立ち、本気で考えた結果、「わかった! 目をつむればいいんだ!」と正解にたどり着き、それはたしかに正解だったのだけど、正解した嬉しさよりも、問題とその答えの内容の切なさのほうが心に迫ってきて、思わず目をつむって耳を塞ぎたくなった。
 そうしてしばらくそのままでいて、気が済んで目を開けたら、僕の周りを幾重にも友達が囲んで、みんな笑っていればいいと思った。友達がいてくれたらいいと願うのではなく、その友達たちが笑っていてくれればいいと望むところに、僕の美徳がある。しかし美徳のある人間に、現世は友達をもたらさない。なぜなら友は類によって呼応するものだからである。現世に美徳のある人間など、もう僕しか残っていない。だから僕には友達ができないのだと思う。僕もあなた方のように穢れていれば、あなた方と仲良くできたことだろうに。残念です。