2018年1月31日水曜日

友達についての思索・2

 夜、布団に入って、僕はマッハでウトウトしはじめるのだけど、その覚醒と睡眠のあわいに、飾らない裸の心が現れるのか、ときどきとても無邪気なことを、自分に向けてかファルマンに向けてか言い放ち、愉しくなったり哀しくなったりする。話のテーマの6割から7割くらいは「友達について」で、覚醒と睡眠のあわいの中で、友達がひとりもいない僕と、友達がたくさんいる僕は、シュレーディンガーの猫のように、その存在が不明確になり、どちらでもあり、どちらでもなくなる。ある晩、友達がたくさんいる世界のほうの僕は、なにがあったのか落ち込んでいる友達を慰めていた。そしてこう言った。「めそめそすんなよ!」。あわいということは、ほとんど夢の世界に片足を突っ込んでいる状態ということで、つまり夢だったんだろうが、夢の中の僕のそのせりふに、僕は強烈な印象を受けて、まだ簡単に戻れる現実に戻ってきて、布団の中で、「俺はいま友達に、「めそめそすんなよ!」と言った!」と口に出して言い、あひゃひゃひゃ、とひとしきり笑った。それをファルマンはすぐ横で、もちろん寝つきが悪いのでまだぜんぜん起きていて、見ていたのだ。どんな気持ちだったろう。
 ROUND1に行きたい気持ちというのが猛烈に沸き上がっている。なぜかと言えばバブルサッカーがしたいからである。ここ2、3年ほど、フットサル(結局まだいちどもしたことがない)への愛憎を募らせてきたけれど、つい最近になって、フットサルよりもバブルサッカーのほうがいいのではないかと思い至った。フットサルとか、あるいはバスケの3on3とかって、遊びのようで、結局は元サッカー部なり元バスケ部なりが本気を出すというか、隙あらば衒気を見せる感じがあり、それが嫌だなと思っていた(したことはないけどシミュレーションの結果そういう感想を持った)。その点バブルサッカーなら、みんな初心者でみんな屈託なく愉しめ、それでいてチームプレイで、わーきゃわーきゃーできる、もうそんなのって僕が求めているものそのものじゃん、と思ったのだった。さらに言えば、あの全身を包むあの球体は、その扱いがおもしろ要素であると同時に、「身体と身体が直接に触れ合わない」というメリットもあって、こっちはどこまでも遊びでやりたいサッカーやバスケにおいて、負けず嫌いなのかなんなのか(そもそも「負けず嫌い」という性格が僕は嫌い)、がっつりマークとかしてくる輩の、接触する身体の、その腕力とか硬さとか、そういうものが僕は本当に嫌でうんざりするので、それがないのは本当に素晴らしいと思う。というわけでやりたい。やりたいやりたいやりたい。しかもあれじゃないか。ROUND1は店内で酒が飲めるらしいじゃないか。お酒を飲んで友達とバブルサッカーができる? なんだそれ! 天界か! 天界の愉悦か! と思う。しかもホームページを眺めていたら、岡山県唯一のROUND1である岡山妹尾店は、2月から始まるというビールの特別価格のキャンペーンの対象店で、グラスビールが1杯100円と来たもんだ。もう無理。ビールを飲んでバブルサッカーをしていないのに吐きそう。人ひとりがいちどきに抱えられる幸福の量を超えた。溢れすぎ。源泉かけ流し過ぎ。入れものがない両手で受ける状態。受け止められっこねえ。信号ねえ。あるわけねえ。おらの村には電気がねえ。なぜなら僕には友達がいない。
 職場で若い人たちに向かって、「ねえ、ROUND1に行ったことある?」と訊ねたら、わりと行っていた。だけどバブルサッカーをしたという者はいなかった。しろよ! 「パピロウさん行くんですか?」「行かないよ。友達いないのに誰と行くんだよ。バブルサッカーがしたくてしょうがないんだよ」「あー……、おもしろそうですよね、あれ」で会話は終わった。誘えよ! じゃあこんど友達と行くとき、パピロウさんも誘いましょうか? って言えよ! そっから広がっていくから! あるいはもう、いっそのこと、パピロウさんがそんなに行きたいなら企画しますからこんどみんなで行きましょうよ的な感じになれよ! どうせあいつらはそのうち地元の友達とROUND1に行って、バブルサッカーの場所を見て、ああこれ会社の誰かがやりたいって言ってたよなたしか……、程度にこのときのことが脳裏を掠めて、そしてバブルサッカーを実際にやったりやらなかったりするのだろうと思う。ビールを飲んだり飲まなかったりするのだろうと思う。やれよ! 飲めよ! きしょいわ。わざわざROUND1に行ってそのふたつをしないで、何が愉しいんだお前ら。えっ、友達と遊ぶことですけど……。
 めそめそしていた友達を元気づけたあと、あわいからきちんと眠りの世界に没入し、きちんと夢を見た。怖い夢だった。僕はホッピングだかジャンプシューズだか、とにかく飛び跳ねて長い距離を一気に移動できる手段で道を進んでいるのに、そのすぐ後ろをぴたっと、知らない男が徒歩でついてくるのだった。男は本当にどこまでもついてきて、お店に入り、僕がレジカウンターの上に飛び乗って店内を見回すと、やっぱり店内にその男はいて、ぎょっとした。起きてから、不気味で怖い夢だった、としばらく噛みしめていたのだが、考えてみたら街中をジャンプで移動しお店のレジカウンターにも上る僕のほうがよほど気色悪いのではないかと思った。
 あまりにも話に取りとめがない。友達が欲しい。友達は常にバブルサッカーの、あの球体を身に着けていればいい。実物の髪の毛とか肌質とかはあまり見たくないから。そしてその友達とならわざわざROUND1に行かなくてもいつでもバブルサッカーができる。

2018年1月27日土曜日

友達についての思索・1

 ファルマンの下の妹がこのたび島根に帰るための引っ越しを行ない、部屋の引き渡しを済ませた当日は、わが家に泊まったのだった。それで久しぶりに、ファルマン以外の人間ときちんと話をして、ああ他者というのは、他者と絡むというのは、そう言えばこういうことだったな、という感触を思い出した。普段の生活ではそれが本当にないものだから、その感触を忘れてしまい、いつしか自然と美化して、それが欠乏している暮しを憂えたりしてしまうけれど、こうして実感をすると、それがどうしようもない間違いであったことに気付かされる。
 特にこの下の妹というのが、僕やファルマンとは正反対の、友達たくさん体質、友達べったり体質で、僕の座右の銘である「なやむけどくじけない」をもじって、「なやまずくじけずはげましてもらうそしてきずながふかまる」と、以前にキャッチコピーをつけたほどで、今回もその性質をまざまざと見せつけ、僕の「友達が欲しい」という欲求を見事な手腕で萎えさせた。そうか、友達というのは、いたらこんなにも厄介なものなのだな、と再認識した。
 引っ越しの現場の話を聞けば、今月中旬にわが家が出向いて段ボール箱を量産した日から、わずかな出勤を経て、10日あまりも自由期間があったにも関わらず、やはり準備は整わず、前日に友達相手に泣きついたところ、平日にも関わらず休みだという友人がひとり手伝いに来てくれることになり、その子の助力によりやっとどうにかなったという。信じられない。シフト制で平日が休みの友人を、引っ越しに駆り出すなよ。引っ越しって大変じゃん。しばらく後を引くじゃん。その日が休みかどうかという簡単な話ではない。引っ越しは労働である。友達クーポン程度で購える作業ではない。さらに言えば、わが家に泊まるのはまあいい。でも荷揚げは16時ごろに終わり、島根の実家での荷降ろしは翌日の午前中なのである。特急やくもで3時間。じゃあ帰ればよくねえ? という話だ。荷降ろしは向こうで母親が対応し、本人は昼過ぎの岡山発で帰るのだという。それ、荷降ろし作業から逃げてない? 火を見るより明らかに逃げてない? と思う。
 三女の末っ子特有の依存体質、というのもあると思う。もちろん友達という友達がみんなここまでではなかろう。でも顕著な例を目の当たりにして、これほどの濃厚さでないにしても、友達というのはつまりこういうことなんだよな、と思った。泊まった夜に会話をしていて、辞めた会社の愚痴を普通に話しはじめたのにもびっくりした。そんな内向きな感情の話をさらりとするだなんて、友達が多い人というのは、自分の内と外の境界線が存在しないのではなかろうか、と思った。蛇が空腹のあまり自分の尻尾を丸飲みしはじめたら、最終的に胃袋が外側にひっくり返ったものになるのか、という話があるけれど、友達が多い人の世界観というのは、言わばそのようなものなのかもしれない。胃袋がひっくり返ることにより、この世のすべてが蛇の内側になるように、自分とそれ以外の境界線を消すことにより、この世のすべてが自分になるのかもしれない。
 想像がつかない。思えば山之辺は最後に宇宙生命となり、火の鳥の体の中に飛び込んだ。そのとき火の鳥はこう言ったのだ。「あなたは私になるのよ」。山之辺はその境地に至るまでに、三十億年かかった。しかし友達が多い人々は、それを瞬間的にやってのける……。

2018年1月19日金曜日

大倉と須藤と志田

 大倉が「バンドやろうぜ」とまた言い出したのだけど、大倉のトライアングルと僕のギロではバンドとしてどうしたって成立しないので、もっとメンバーを増やせと命じたところ、連れてきたのが須藤だった。聞けば大倉とは俳句仲間だという。大倉が俳句をやっていたことを僕はそこで初めて知った。そのことを訊ねると「大倉は 実は俳句を してたねん」と、俳句でもなんでもない五七五(しかも謎の関西弁)で答えたので、ムカッとした。それから須藤に向かい、楽器はなにを弾くのか訊ねたら、「……弾く、ではなく吹く、ですね」という答えだったので、ああサックスとかトランペットなのかなと思ったのだけど、続けて「マラカスです」と言ってきたので、またムカッと来た。こんな頻度でムカムカさせてくるメンバーとバンドなんか組めるものか、お前らのごとき弱小楽器演奏者では俺のギロは生きてこねえよ、と帰ろうかと思ったのだが、そこへ現れたのが志田だった。志田もまた大倉が連れてきたバンドメンバー候補で、大倉とは都々逸仲間だという。大倉が俳句のみならず都々逸までやっていたということは、もちろんこのときまで知らず、訊ねたら「実は大倉 してた都々逸 意外な趣味で ビビるやん」と再び謎の関西弁の入った七七七五で答えてきて、もしもバンドを組むことがあっても大倉だけは外そう、音楽性の違いで外そうと思った。そのあとで僕はゆっくりと志田のほうに目をやった。別にビジュアルどうこうというのは音楽表現においてなんの関係もない要素だけど、でもやっぱり世間的にはそこはシビアな部分だし、そうなるとライダースーツをパツパツに張りつめさせている、志田の胸元に鎮座するボリューミーな双丘は、バンドの売りになるのではないか、僕自身に邪まな感情があるわけでは決してなく、どこまでも冷徹な商業主義的な観点から、これは売り物になるのではないかと思った。それで「ボ、ボインちゃんはなんの楽器を弾くのだい」と訊ねたところ、「……弾く、ではなく吹く、ですね」と言いながらライダースーツのジッパーをチチチ、と下げてゆき、その急な展開に、えっ、えっ、となっているところに、志田が取り出して見せたのは、ふたつのカスタネットと、まるで起伏のなくなった胸部だった。そこで僕は本当に家に帰った。その3年後に彼らがグラミー賞を獲るって、誰が予想できたよ。若干の悔しさや後悔はあるけど、今は素直に言いたい。おめでとう。彼らを祝福するために、僕はひとり部屋でギロを7時間あまり奏でた。