2024年1月28日日曜日

友達関係を保持するということについて父は

 中学生になり、スマホを持ち、そして部活に入ったポルガは、ごく普通に部活仲間とのグループLINEに参加して、親が呆れるくらい頻繁にメッセージのやり取りをするようになった。
 なんだか本当にとても普通だ。
 小学校にはあまり馴染めていない感じがあり、それは4年生の3学期に親の都合で引っ越しをさせてしまったのが主原因に違いなかったので、途中参加ではない中学校では、所属している集団に、どうやら愛着を抱くことができているようだということに、親として安心する部分がある。親って、子どもに対し、集団に染まって群衆の一部になるのではなく独自の道を切り拓いてほしいなどと幻想を抱く一方で、周囲からなるべく孤立しないで欲しいと願いもする、とてもわがままな存在なのだ。
 先日、グループLINEのことをしているポルガに向かって、「よくもそんなに伝える内容があるもんだな」と少し皮肉を込めて言ったら、生意気にも「もしもパパがいま中学生だったら、こんなふうに友達ができてたかな」などと返してきた。なんて弁の立つ、人のコンプレックスの部分を巧みにえぐってくる奴だろうか。「ででででできたわ!」と慌てて言い返した。
 ポルガの物心がついた頃から、僕という父親には、友達という存在の影が一切ないので、どうもポルガの中で、「父」と「友達」というものは、最高レベルに結びつかない取り合わせであるらしい。なんという切なさか。
 僕だって学生時代は友達がいたのだ。学生じゃなくなって以降は、グライダーではなく直滑降のようにそれは瞬時に失われたけれど、学生時代は少なからずいた。それは何度も言うけれど、友達というのはそもそも学生向けのものだからだ。学校という場所は、友達圧がとても強い環境なので、そこでは友達関係が極めて発生しやすい。それは、友達圧が弱ければ決して友達にはならなかったであろう相手とも友達になるということを意味する。そのため卒業したあと大抵の相手との友達関係は解消される。
 ただしこれは親の時代の話であって、ポルガの時代の子どもたち(たぶんもうその15年くらい前から)には、LINEのような繋がるためのツールがあるので、だいぶ事情は変わってくるだろうと思う。学校という具体的な環境の圧ほどではないけれど、LINEというのもそれなりの圧がある。圧というのは、要するにプラス補正だ。
 AとBという人物がいて、このふたりの相性および親密度の数値は7であるとする。これが10になると、ふたりは友達だということになるとしたとき、普通ならばAとBは友達ではない。しかしふたりが同じ学校の同級生であった場合、そこには8の補正が入るので、合計の数値は15となり、晴れて友達となる。しかしこのふたりが学校を卒業して離れ離れになると、8の補正はなくなり、7の間柄に戻るので、友達関係は解消ということになる。なっていたのだ、これまでは。ところがいまは卒業後もLINEで繋がることができ、LINEというのは3くらいの補正能力を持っているので、7+3ということで、ギリギリでAとBのその数字は10を下回らないということになる。こんな具合で、現代だからこそ保持される友達関係というものが多くあると思う。
 であるから、自分たちの親の世代が友達を持たず、その理由について「学校を卒業したら疎遠になるんだよ」と説明するのを、子の世代は理解できないだろうと思う。3の補正が享受され続ける世界に暮す人間、その圧を受け続けて生きてきた人間は、圧を圧として認識することができない。
 これで僕に、なんの補正もないのに10以上の関係性を長年保持し続けている相手がひとりでもいれば、俺のナチュラルなこれに較べ、お前らの無自覚なプラス3補正のかかった、つまりは自力では友達として成り立たない程度の関係性でしかない、水で薄めたような友情と来たらどうだ、ということが言えるのだけど、残念ながら見事にひとりもいないし、あまつさえ3程度の補正では10に到達する相手もいやしないので、じゃあこの話の結論はいったいなんなんだ、という話になってくるのだけど、まあ思うことはひとつですよ。
 娘がいい友達に恵まれますように。
 お前の父親は、自分の友達運のすべてを、自分では使わず、子どもに託してやったんだからな。感謝しろよ。