2018年9月20日木曜日

友達のいない風景・3(35歳の誕生日)

 誕生日の朝は眠りが浅くなる。零時前に寝て、2時38分にふと目を覚ました。枕元のガラケー(機能付き目覚まし時計)で時間を確認した。もちろんガラケーにメッセージなどなかった。来るはずがない。だって僕にはタブレットがある。全部あっちに行ってる、と思って再び寝た。
 起きて出勤の準備をしながら、タブレットでLINEを開く。タイムラインに、「ハッピーバースデー!」という画像がデデンとあった。これは一目瞭然。じゃあもうみんな祝福のメッセージをくれるはずだよ。くれないと嘘だよ、と思う。ただし朝の時点では誰からも来ていない。それはそうだろう。まだ早い。朝はそれでなくてもみんなバタバタだろうし、なにしろ僕への祝福メッセージだ、文面だって凝りたくなるのが人情というものだ。そういうの、わかってあげたい。待つよ。23時59分まで待つよ。
 誕生日の天候は雨だった。細かく激しい雨で、視界がとても悪かった。今日だけは交通事故で死ねない、と思いながら出勤した。出勤して、始業前に、もちろんタブレットをチェック。普段はこんなにこまめに確認する人間ではないが、今日は仕方ない。メッセージはゼロ。
 ファルマンに、
「おかしいな……?」
 とメッセージを送って仕事に入る。
 昼休みになり、一目散にタブレットを開く。メッセージが来ていた。母からだった。
「自分の子どもが三十代半ばなんて信じられない」
 と、この人は僕が三十代になってからは毎年それを言う。
 それきりだった。
「俺の友達、みんな失明してんのかな」
 とファルマンにメッセージを送る。
「友達なんて人間界一の幻想」
 というメッセージが返ってきた。
 そのまま無為に時間が過ぎた。職場にもLINEの交換をした人はいるわけで、その人たちにチラチラと視線を送るが、こちらに向かって働きかけてくる様子は一切ない。どうも変だ。昼休みの終わり頃になってようやく思い至り、
「君のタイムラインに俺の誕生日の知らせって届いてる? これ非公開になってんじゃないの」
 とファルマンにメッセージを送った。
「こんなはずないもの」
 とも続けて送った。
 返信はなかった。
 午後の休憩でみたびLINEを開くと、トークの右上に赤丸がついて、そこに「5」の表示があり、やっとか、と思う。
 開いたらすべてファルマンからだった。
「タイムラインどうやって見るかしらんし」
「人のそんなん気にしたことないし」
「見たけど幼稚園のママがキャンペーンにエントリーしてる情報しか出てないよ」
 などという報告だった。
 やっぱり出てないのだ。慌てて設定をいじろうとするも、どうやればいいのかさっぱり分からない。とにかく現時点で出ていないのだ。全身を悪寒が襲った。打ちひしがれた。たとえこれから設定を変えて出せたとしても、本来なら零時に表示されなければ恰好がつかない。それに義妹とか、僕以外の友達が極端に多い人だったら、半日で無数に連なるタイムラインのせいで、僕の誕生日の知らせなんてあっという間に下のほうに行ってしまうではないか! もう遅いのだ! 1年にいちどのチャンスなのに、完全に失敗した! そしてだとすれば母はタイムラインとか関係なくメッセージを送ってきたのだ! そう考えると余計に哀しい。仕事をしながら、万感の思いがこみ上げて来て、嗚咽しそうになった。
 夕方になり、退勤時間になって、もちろんすぐにタブレットを開く。誰からもなんにもない。まさか僕の誕生日はこのまま終わるのか……? ファルマンに帰るコールのついでに、
「どうすれば友達のタイムラインに誕生日の知らせが表示されるのか今すぐネットで調べてよ!」
 と懇願する。夕飯の準備等で忙しいのか、むげに断られた。ひどい。
「じゃあ俺、車を運転しながらタブレットを操作するよ! 危ないよ!」
 と脅すが、
「それで死んだらとことんバカだよ」
 と妻はどこまでも冷たかった。相手が悪かった。相手は友達の観念が我らとは違う、化け物なのだ。僕がどうしてこんなに汲々としているのか、この化け物にはさっぱり解らないのだ。ちくしょう、と思った。夫婦ふたりで、0×0の掛け算をしているかのようだ。
 帰宅してから、ファルマンのタブレットを奪って確認するが、やっぱり表示されていない。なんでだ。もう僕はLINEからも見離されてしまったのか。LINEで友達ができると思ったら、LINEは友達がある程度いないと受け入れてくれない、そんなフットサルのような狭量な世界だったのか。
 いろいろ探って、こんな表示が出る。


 なんて哀しい杉村だろうか。LINEによる雑な設定のパーティー帽子がこんなにもピッタリ嵌まっているというのに、帽子を被って待ち受けているのに、会場には自分以外誰もいないのだ。それは「わっかんねーよ!」と言いたくもなる。俺もなんでこんなことになったのかぜんぜんわっかんねーよ! そしてなにより「友だち0人・9月20日」というコピー。バカにしてんのか。ずいぶんいいコピーじゃねえか。糸井重里が考えたのか。
 それから最後の手段として、友達314人(あれから友達の結婚式に何度か出ているようなので、もっと増えているのだろうと思う)の下の義妹に、
「自分が今日、誕生日だってことをみんなに知ってほしいのに、いろいろやってもタイムラインに表示される様子がないんだけどそうすればいいんだろう」
 と質問する。
「じわる~」
 というスタンプが返ってきた。
「じわるとかじゃなくて」
 と超高速で返信した。じわらせようとしてるんじゃない。義兄は切実なんだ。
 それで、たぶんこういうことじゃない、みたいな設定の変更の手順を、スクリーンショットで説明してくれる。言葉で説明するのではなく画像というのが現代的だな、さすがだな、と思った。
 それですぐに言われたとおりにする。その結果、
「あ、出てるで!」
 ということで、どうやら出たらしい。でもファルマンのタブレットのタイムラインには相変わらず表示されない。なんでだろう、と思うが、これはきっと、ファルマンだからだと思う。LINEはそういうの選別するんだと思う。ファルマンには人の誕生日を教えてやらないんだと思う。はぶってんだと思う。ファルマン以外の人のタイムラインには表示されたんだと思う。
 そして、それから3時間ほどが経って。
 今日はあと2時間弱で。
 うん。
 うん……。
 友だち0人・9月20日。
 ちょっと気に入った。俺のキャッチフレーズにしようかな。

2018年9月10日月曜日

友達がいない風景・2

 前に職場で同僚と、僕の出張の話をしていて、出張はどうなの、と訊かれたので、「最初のうちは人見知りだから緊張したけどだんだん慣れてきた」と答えたら、「パピロウが? 人見知り?」と、きょとんとした反応をされ、こっちのほうがきょとんとした。
 それで今回の出張の際、出張先の人とお酒を飲んでいて、「人見知りだから友達ができない」という話をしたら、その人からも、「パピロウが人見知り? 最初から気さくに話してたじゃん」ときょとんとされて、やはりきょとんとしたのだった。
 どうやら自分が思う自分と、他人が見ている自分は、だいぶ違うようだ。
 ──という話を夕食のとき、ファルマンに向かって話した。そうしたらファルマンは、無言で立ち上がり、台所のシンクの所へ行って、おもむろに手を洗って帰ってきた。それで「どうしていま手を洗ったの?」と訊ねたら、「……あれ? 私、どうして手を洗ったんだろう」と自分で不思議がっていた。そして「たぶんいまのあなたの話のせいだと思う」、と妻は言った。心の中にぞわりと、静かで激しい感情が湧き上がったらしかった。
 「君はこういう風に、自分の思う自分と他人の思う自分が違うってことないんだ?」と訊ねたら、「ない」と即答された。僕の話も別にぜんぜん華やかな話ではないはずだが、本当の人見知り、本当のコミュニケーション能力欠損者は、このレベルの話に対して、食事中に思わず手を洗いたくなってしまうものらしい。手を洗うというのがリアルで気色悪い。さすが本物はすごいな、と思った。
 しかしどっちが正しいんだろう、という気もする。ファルマンに言わせれば僕は似非コミュニケーション能力不足者ということになるが、対話者にとって気さくな人柄でありながら友達ができないのだと考えると、そこには殊のほか根深い問題があるような気がする。僕にはもう、友達作りに関して、伸び代がないということにはなるまいか。それに対してファルマンのような人間には、「まだ一歩目を踏み出していない」という希望が残されている。踏み出したところで友達ができる可能性は極めて低いが、それでもゼロじゃない。ゼロじゃない妻が羨ましい。憎い。手を洗いたくなってきた。

2018年9月9日日曜日

友達がいない風景・1

 ちょっとした間に、タブレットの電源を点けて、LINEを開く。誰かからメッセージが届いていると、LINEのロゴが表示されるくらいのタイミングで、タブレットが振動する設定になっている。もちろん大抵の場合は振動しない。大抵の場合はそうなのだが、なんとなく気落ちする。LINEのホーム画面の上部には、「友達」「トーク」「タイムライン」とアイコンが並んでいて、誰かからのメッセージがあると、「トーク」の所に赤い丸がついて、メッセージの数が表示される。振動しなかったのだから来ているはずないのだが、そこに赤丸がついていないのを見て、また改めて気落ちする。友達と言ったって、親類と職場の人間がほとんどなのに、それらから一体どんなメッセージが送られていたら嬉しいというのか、という話なのだが、それでもやっぱり気落ちするのである。それで、ため息というほどではないけれど、鼻から深く息が噴き出されたらしい。すると、鼻の穴の中で、鼻毛にかろうじて引っ掛かっていただけの鼻くそが、その風圧によって、鼻から飛び出した。そして2ミリほどのその薄茶色の物体は、タブレットの画面の、「トーク」の吹き出しマークの右上、まさにメッセージが届いていれば赤丸が表示される部分に着地したのだった。それを見て僕は一瞬、こう思った。

「あ、ちょうど誰かからメッセージが来た」

 美川憲一の語っていたエピソードで、まだ彼が売れる前、全国をドサ回りしていた際、いつも安旅館に泊まっていて、食事と言えばごはんと具なしの味噌汁、そして漬物だけだったというが、そんなある日、味噌汁にしじみが浮かんでいるのを見つけ喜んだら、それは真っ平な表面に映った自分の目玉だった、というのがある。
 気落ちした嘆息で飛び出た自分の鼻くそを、誰かからのメッセージ到着通知だと勘違いするのって、なんかこの美川憲一のエピソードに似ているな、と思った。
 自分がどうしてこんなにもフットワーク軽く、美川憲一の下積み時代のエピソードを思い出せるのかは謎に包まれているけれど。