2018年2月12日月曜日

林田と大津と北橋と滝口と鈴本

 繁華街に出て歩いていたら、道端に、項垂れて座り込むひとりの浮浪者がいて、こんな地方都市に珍しいと思った。本来なら足早に通り過ぎるべきなのだろうが、立ち止まって、ぶしつけと言ってもいい視線を送ってしまったのは、無意識になにか感じるものがあったからかもしれない。俯いているので顔が見えず、そのため年の頃はまるで窺えない。さらにはこの季節のこと、寒さに耐えるためだろう、ありったけの布きれを全身に纏わせていて、素肌という素肌が一切出ていないのだった。男の尻の下には段ボールが敷かれていたが、その程度で寒い今年の冬のアスファルトから伝わる冷気が防げるとは到底思えなかった。やがて男は、目の前で立ち止まった人間の存在に気づいたようで、ゆっくりと顔を上げた。ぼさぼさの髪、伸びっ放しの髭の向こうに現れたその相貌を目にして、僕の口から小さな叫び声が漏れ出た。
「は、林田……っ!」
 ――そう、それは17年前のあの夏、高校2年生だった我々が、いつものメンバーで集い、大津の持ってきた花火をした夜のことだ。大津は少し頭の足りない奴で、花火を持ってきたのはいいが、火もバケツも用意していなかった。バケツはまだしも、火がなければ花火は始まらない。我々の集う雑木林の前の空き地から近くのコンビニまでは、自転車で10分以上もかかった。面倒だが誰かが買いにいかなければならない、とうんざりしたところへ、「火ならあるぜ」と、北橋がライターを取り出してみせた。その夜、我々は初めて北橋がたばこを吸っていることを知ったのだった。かくして北橋のライターで花火に火を点けて、その花火から別の花火へと、火を繋げるようにして我々は花火を次々に灰にしていった。色とりどりの華やかな光を愉しむ余裕などなく、作業のようにせわしなく、ひたすら火が途切れないように努めた。こんな仕事みたいな花火ぜんぜんおもしろくねえよ、と言ったのは滝口だった。でも不思議なもので、それから倍の長さを生きた今でも、花火の思い出と言えばあの夜のことをいちばんに思い浮かべるし、そのときの滝口の口調に珍しく笑いが含まれていたのもしっかりと覚えている。いまの僕がタイムスリップして、当時の我々の姿を見たら、たぶんきらきらと発光していて、まともに見られないのではないかと思う。振り返ることでようやく分かる。人生にはそういう瞬間というのがあるのだ。花火の最後は定番の線香花火。はじめ細く頼りなかった光の尖端が丸まっていき、火球のようになる。それは小さいが、いかんせん軸のない紙の縒りでしかないもので持ち上げるには荷が重い。そのため持っている人間は繊細な動きを強いられて、それまで激しい火花を散らして盛り上がっていた心が、みるみる落ち着いてくる。そしてその落差はどうしたって人の心を無防備にするのだ。だから鈴本はこのタイミングで、両親の離婚により母方の田舎に引っ越すことを我々に告げたのだと思う。高校2年生はあまりにも中途半端な年齢で、選択肢が与えられているようで、実はちっとも与えられていない。なにより家族思いの鈴本が、母親と、小学校5年生になる双子の妹たちの新生活を、すぐそばで支えないという選択をするはずがなかった。我々はみんなショックを受けて、線香花火のかよわい火花が散る、とても小さな音が空き地に響いた。火球の行方を眺めて下を向いていたから、互いの瞳を覗かずに済んで助かったと思った。
 考えてみたらこの話に林田は登場しなかった。林田と滝口はかつて同じそろばん教室に通っていたらしいので、それでちょっと混乱した。