2018年5月25日金曜日

友達についての思索・10

 ROUND1に行ってバブルサッカーをしたい、ということを前々から言っていて、その思いは鎮火するどころかまだまだ燃え盛っているのだけど、そこへ来て日大アメフト部の悪質なタックル事件が起って、なんかもう高まりが高まりすぎてどうにかなってしまいそうになっている。俺はこんなことしてる場合じゃないんじゃないか。今すぐにでも、とりあえずピンク色のネクタイを買いに行かなければならないのではないか。昨日なんか実際に、ファルマンに仕事終わりの電話を入れた際、「ちょっと買い物して帰るから遅くなるかもしれん」「なに買うの?」「ピンク色のネクタイ」「……まっすぐ帰っておいでよ」という会話を繰り広げた。妻が止めなければ本当に買いに行っていた。買って、ROUND1でバブルサッカーをして、そのとき悪質なタックルをしてみせて、みんなから怒られて、ピンク色のネクタイを着けて(Tシャツの上にね)謝罪して、そして被害者の名前を読み間違えるという、一連のコントをするつもりだったんだ。誰と? もちろん友達とに決まってるじゃないか。友達なんてひとりもいないくせにさ!
 本当に、あまりにもバブルサッカーがしたくて、あまりにも悪質なタックルのコントがしたいのに、あまりにも友達がいない。友達がいないという事実は、普段からうっすらと寂しい気持ちを僕に味わわせ続けるけれど、こんなときは余計にそれが掻き立てられる。友達のいなさが骨身に沁みる。僕と友達の間には、圧倒的な大きさの「友達いなさ」が立ちはだかっていて、僕を体ごと包み込み、五感を奪う。だからそいつ越しに友達の存在を探ろうとしたって、もちろん見えないし、気配さえ感じることができない。だから僕は想像するしかない。「友達いなさ」の向こう側にいる、いつか出会って手を取り合って喜び合える友達を、どんな奴だろう、こんな奴だったらいいなと、思い浮かべることしかできない。ああ、早くいなくなってくれないかなあ、「友達いなさ」のくそったれと来たら! (なんとなく「ライ麦畑でつかまえて」風の語り口になったが、特に深い意味はない)
 職場で、ROUND1に行きそうな若い女の子たちに向かって、直接に誘うわけでは決してなく、直接に誘ってもしも実現しようものなら、言い出しっぺとして参加者を愉しませなければならないというプレッシャーに勝てる自信はないのでそんなことはず、こう頼んでいる。「いつか君が君の友達とROUND1に行く予定が立ったら、俺に声を掛けてくれ」。そうしたら僕は当日しれっとROUND1の入口の所に通りすがり、「えっ奇遇じゃん。俺もちょうどROUND1に行こうと思ってたんだよね」と、ひとりなのに堂々とのたまってみせて、そしてその子の友達にタダ乗りし、一緒にバブルサッカーをやって、悪質なタックルをして、ピンク色のネクタイで謝罪して、名前を間違えるのだ。というそこまでの思惑を伝えたわけではないけれど、「バブルサッカーをしたいから声を掛けてくれ」と頼んだところまでは実際にあった怖い話で、女の子たちはこれを冗談と受け取ったのか、なんか笑っていたのだけど、どっこい冗談でもなんでもないのだ。これはドキュメンタリーなのだ。
 ピンク色のネクタイを買わず、まっすぐ帰った自宅では、ポルガが「原始生活ごっこ」なる、くせの強い遊びをしていた。たぶんこいつも将来ぜんぜん友達がいないタイプの人間になるんだろうな、と常々思っていることを改めて思った。獲得形質は遺伝しないので、もちろん僕にこの責はない。言うなればふたりとも遺伝子の被害者だ。遺伝子組み換えでない! 遺伝子組み換えでないから安心だなんて、どこ情報なんだろう。