2018年10月17日水曜日

友達がいない風景・4

 「僕とLINEの登録者数で300人の開きがある」でおなじみの三女が、今日誕生日なのだった。なぜか僕のタイムラインにはそのことが表示されず、しかしまったく表示しない設定にしているわけではないらしく、ファルマンの画面には表示されていて、どういうことだろう、疎外されているのかな、と少し思った。
 それでも誕生日であることを知ったからには、と思い、お祝いのメッセージを送った。こういうところだ。こういうところから人間関係は広がっていくのだと思う。義妹に義兄が誕生日祝いの言葉をかけて、一体どんな作用で人間関係が広がるのかはさっぱり分からないが、それでもしないよりは望みがある。こちらは藁にも、それどころかニュートリノにさえもすがる思いなのだ。
 LINEのタイムラインの「パピロウさんがお誕生日です」の画面と言えば、「友だち0人、9月20日」というフレーズが記憶に新しいけれど、実はその表示に対して、この義妹だけが「いいね!」をしてくれたのだった。そこはさすが315人(たぶん現在はもっと)のLINE友達がいるだけのことはある。そして僕の誕生日メッセージに対する反応はそれっきりで、他の人の誕生日メッセージで見られるような、友達からのメッセージカードみたいなものは一切なかったのだった。それはいい。別にいいのだ。あってしかるべきではないかとも思うが、なにしろ分母が小さすぎる。そもそもの分母が小さいし、15人のうち8割以上は、親類か、仕事上の付き合いの人なのだ。だから仕方ない。
 それで、それじゃあその点、友達300オーバーの義妹なんかにはどれほどのメッセージカードが届くのか。これは大いに気になるところである。しかしながら前述のとおり僕の画面には誕生日の通知が表示されないので、ファルマンのタブレットをわざわざ借りて確認した。すると、義妹に誕生日のメッセージカードを送っていたのは、22時現在までのところ、義妹とともに暮している母親だけだった。しかもメッセージ内容は、「帰ってきてくれてありがとう」だった。
 それを見て、ヒヒヒッ、と邪悪な笑いが口から漏れた。さらには「あー、溜飲が下がったわ」としっかり口に出して言った。
 僕のその様子を見てファルマンが、「人のそれを見て溜飲が下がったとか言う人には、友達はいつまでもできない」と言った。
 友だち0人、9月20日。誕生日という行事には、人の本性を暴き、白日の下に晒す性質があるのかもしない。友達が欲しい。僕に友達が増えるか、あるいは友達が多い人の友達が僕のレベルまで減ればいいと思う。それならそれでいいのだ。