2018年6月15日金曜日

友達についての思索・12

 友達の欲しさこそが僕の生きる原動力なのではないだろうか。その情熱が屋台骨となって僕という人間の形状を支えていると言っても過言ではない。言われてみれば、バトンも、ピンクのネクタイも、フォークダンスも、トランプのサインも、すべて友達から絶賛されるために、そして「FRIENDS TALK TO FRIENDS ABOUT ON FRIENDS.」という僕のオリジナルロゴが示すように、僕のことを絶賛する友達が、僕のことなんて知らないその友達の友達に向かって、「俺の友達にパピロウっていうおもしろい奴がいてさ……」と語ってくれ、そしてその語られた側の人が、「ALTHOUGH  I DON'T KNOW THAT FRIEND!」と心の中で憤るという、その瞬間のためにやっているのかもしれない。本当にそうだとしたら、なんとつまらない人間だろうか、僕は。いや、物事の動機のすべてが友達からの称賛のためではもちろんない。でも大体において3割5分くらいはその期待が入っている。でもそれは仕方ないじゃないか。そんなこと言ったってしょうがないじゃないか(えなり)。美味しくて量が多くて安い定食屋が、「お客さんの喜ぶ顔が見たくて……」と言うのと一緒だろう。だとしたら別にいいことだろう。企業努力じゃないか。企業努力で、僕はバトントワリングをするし、フォークダンスの音楽を聴き続けるし、トランプのサインも練習し続けるのだ。
「でもね、パピロウ」
「だ、誰だっ!」
「それじゃあ友達はできないわ」
「な、なんだと?」
「むしろ逆効果よ。奇行を遠まきに見る感じになるわ」
「そ、そんな、そんなわけねえよ!」
「いいえ。そうよ。この意味わかるでしょ」
「わっかんねえよ!」
 ぜんぜん解らない。バトンとか、悪質なタックルコントとか、フォークダンスとか、トランプのサインとか、おもしろそうな要素ばかりで、僕だったらすぐにこの人と友達になりたくてしょうがないだろうと思うのに、僕の中の雫は逆効果だと言う。意味が解らない。僕の中の杉村が混乱している。夕子は俺のことが好きなのか。そんなの困る。だって俺……、俺、俺のことが好きなんだ!
 僕の中の雫が「ひっ!」と小さな叫び声をあげた。