2018年8月3日金曜日

友達についての思索・19

 僕の不倶戴天の敵、一生かけて闘い抜くと決めた相手、友達が多い人。それをなんと呼ぶかというのを昨日から考えはじめて、今日ふとした瞬間にひらめいた。
 
 友人。

 友達が多い人。友達に依存している人。友達といることで大きな気持ちになっている人。友達といることで心に余裕がある人。友達のことを大事に思う人。友達の存在こそが自分を成り立たせていると思うし、自分自身も友達にとってそういう存在でありたいと願う人。友達人。
 これらすべて、略せば友人なのである。自分が生きる自分の人生であるはずなのに、そこへ異様なほど友達の成分を含ませようとして、自分の人生を薄めることに尽力するという、摩訶不思議な性質を持った人種。それが友人。
 友人という単語はもちろん元からあるもので、辞書で引くと「ともだち。朋友」と、とても簡素に書いてある。素直に友達の項を引けよ、という感じで、友人そのものには大した意味が与えられていない。実際あまり使いどころがない。友達よりも友人のほうが大人びた感じ、偏差値の高い感じはある。でもLINEで、親戚や上司なんかも友達と言ってしまう現代である。友達だとちょっとざっくばらんすぎて微妙だからこの場面では友人という言い回しを使おう、なんて細かい気配りは、もう地上から滅殺してしまって、友達はすべて友達でいい。
 そして完全に使い道がなくなった友人は、僕がもらう。もらって、嫌う。嫌うためにもらう。友人、よく来たね。僕は君のことが嫌いだよ。友人は気さくな性格だから、僕のことも友達だと思っていたかもしれないね。違うよ。僕は友達じゃないよ。びっくりした? 友達にこんな風に裏切られるとは思っていなかった? でもそれは僕も同じなんだよ。僕の人生の敵が、まさか友人だったなんて、思いもよらなかったよ。
 僕と友人の長い闘いは、ここから始まる。